「新宮市障害を理由とする差別の解消の推進に関する条例」と「新宮市犯罪被害者等支援条例」の骨子案に対するパブリックコメントが1月に行われていたことを、皆さんご存じだろうか。意見数はいずれも0件だった。
市民が主権者として行うまちづくりとしては物足りない。特に意見は持たれなかったのか、興味が持たれなかったのか、知られていないのか。要因はいろいろ考えられる。
しかし一度、自分にひるがえって考えてみる。住むまちの人権関係の条例骨子案に個人的に興味を持ったことがあるかと言われれば、正直なところ、ノーである。ここで「まちづくりは住民が主体となってやるものだから、みんなで関心を持って積極的に意見を出そう」と呼び掛ける文章で終われば楽ではあるが、実際、住民それぞれが生活を抱えている中で、どれだけ行政に対し積極的になれるものだろうか。
ただ、何も考えず任せきりにしていては“権力者”の思うつぼ。行政側には積極的な態度を、議会にも厳粛な監視を、住民にはできる範囲での情報収集を求めつつ、メディアとしても監視と周知の責に襟を正す。
【稜】