「世界は平和になっているんでしょうか」—。12日に那智山青岸渡寺で開かれた紀伊山地三霊場会議で、吉野大峯の大峯山寺竹林院の福井住職が問いかけた。
小学校で、戦争の起源は農耕社会の始まりに端を発すると習った。農地によって作物のできに差が生まれ、災害があったりもして、よりよい農地を求め他の集落を襲うようになったのだと。
あれが担任教師の考えだったのか教科書の内容だったのかはいまや覚えていないが、食べ物が充足している国も戦争をしている現在を見ると、生存のための闘争と利益のための戦争には大きな違いがあり、後者には際限のない苦しみとむなしさが付きまとうものなのだろうと思う。
一方で、やさしくありたいと思っていても、素直にそのまま行動に起こせない時がある。神社の祝詞に「平らけく安らけく」という言葉が出てくるが、個々人の心の集合が人間社会なら、必ずしも行動に移せない自分も、本当は誰かのために動きたかった自分もひっくるめて、平穏無事であることを祈りたい。その1人1人の意志が平和への道筋なのではないか。そんなことを考えた。
【稜】