尾鷲七郷に春を告げるヤーヤ祭りが無事終わった。飽きもせず練りを繰り返す若衆、まねて「チョーサじゃ」と叫ぶ子、笑いの絶えない道中踊り、厳かな神事を見て、祭りは人が生きるうえで必要なものだと確信する。
能登半島地震後、現職の国会議員の「言いづらいことだが、復興より移住を行うべき」と発信を聞いて、悪意をもってとらえるべきではないものの「地方で生きることは非経済的か」と自問したことがある。その迷いが解けていくような心持ちだった。
コロナ禍の中、祭りが持つ人々を巻き込んでつなげていく無形の力が欠けていた。コロナ禍を耐え切り、しっかりと伝統をつないだ。「耐雪梅花麗(雪に耐えて梅花麗し)」という漢詩があるが、尾鷲神社の境内では河津桜が花開く。冬が終われば、もう春が来る。これからきっと、尾鷲は良くなるだろう、そう思える6日間だった。
祭りは終わり、誰もが日常に戻った。それでも、きっとまた、ヤーヤ祭りは来年もあるのだろう。それはとてもうれしいことで、すばらしいことだ。
(R)