熊野大学の夏期セミナーが5日にあった。基調講演をした四方田氏は、中上健次が小説「地の果て 至上の時」で使った「違う」という言葉が今も残響しており、中上を思い出す時に出てくると話した。主人公の秋幸が実父の浜村龍造の自殺を目の当たりにした時に叫んだその一言は、中上の作品全体、あるいは書くという行為全て、はたまた四方田氏の批評全体に対するものともとらえられると。
また、中上が何か要となることを言う時に「違う」「そんなもんじゃねえんだ」という言葉を使ったのは、神のような超越的な存在や仏教の悟りが「こういうものでもない」「こういうものでさえもない」と否定形の積み重ねによって定義されてきたことと重なるという。
中上の強いまなざしを受けた気がして、ぎくりとした。「書くという行為そのもの」に対する「違う」という感覚。それは私が記者をしながら常に持ち続けているものであった。言葉は必ず嘘を、理解は必ず誤解を、記述は必ず過去をはらむ。だからこそ私が書かねばならないのだが、それもまた必ず「違う」をはらんでいるのである。
【稜】