「考えたこと」と「感じたこと」のうち、覚えているのは後者だと思う。必死になった受験勉強の内容は忘れてしまったが、不思議と学校を休んでしまった日の罪悪感など、当時感じたことは思い出せるものが多い。
那智勝浦町立図書館で23日、防災士の久保さんによる紀伊半島大水害体験紙芝居が披露された。激流に飲み込まれながら生き残った久保さんの壮絶なストーリーを、私は集まった13人の来館者とともに目の当たりにした。
驚いたのは、久保さんの語り口調から見えてくる情景の生々しさだ。「丸太の枝の部分がお腹にこすれて痛かった」や「右の耳に『助けて』の声が聞こえ、左の耳に木が水に落ちる音が聞こえた」「『わらをもすがる』と言うように木の枝をつかみ、人生で一番悲しい経験をした」など、非常に細かい描写が鮮明だった。
これは、強烈な体験により動いた感受性が成り立たせているものと思う。現代はある学者が「脳化社会」と評するように、頭で考えすぎ感覚をおろそかにする傾向がある。しかし「危機感」や「虚無感」「幸福感」など、人にとって本当に大切なことは、頭よりも心の側にあるのではないか。
【稜】