今年の大河ドラマ『べらぼう』の時代に「白河の清きに魚も住みかねて元の濁りや田沼恋しき」という狂歌がある。豊かで華やかだった〝腐敗政治〟を懐かしみ、厳しい寛政の改革に反発するもので、政道について考えさせられる。
辞意を表明した石破政権の評価はさておき、自民党の失墜の原因の一つに、政治とカネの問題があげられている。古くはロッキードやリクルート、近いところだとドリルにモリカケ、統一教会と、そもそも自民党は汚職と不正が目立つ。解党以外で払拭は無理ではないか。
権力闘争で長引く政治的空白の中でも、物価高騰による庶民の苦しみは続く。庶民を救って導くのが政治のはずだが、何のため、誰のための政党か、と毒づきたくもなる。
ロッキード事件で逮捕された田中角栄は「借り物でない自分の言葉で、全力で話せ。そうすれば初めて人が聞く耳を持ってくれる」と語ったという。国民を救う政治家は田沼にいるか、白河にあるのか。白ける総裁選でも、その言葉にはしっかり耳を傾けていきたい。
(R)
