1年に5回ある庚申(かのえさる)の日。この日が来るとふと思い出すのが、かつて伯父の家で行われていた「庚申さん」。一戸の宿に集落の人達が集まり、庚申をまつってお神酒・精進料理などを祭壇に供え、男衆は酒を飲みながら雑談をして夜を明かした。
道教の三尸(さんし)説を母体に、密教や修験道、民間信仰や習俗などが複雑に組み合わさって成立した庚申信仰。人間の体には三尸という三匹の虫がいてその人の罪を監視し、庚申の晩に隙を見て天に昇り、天帝にその罪を報告。それによって、人間は早死にすると考えられていたが、寝なければ三尸は体内から出て天に昇ることはなく、長生きができるとされたが、集落のつながりを深める側面もあったように思う。
その集落ではお盆の送り火も独特。8月16日の夜に、長さ1メートル余りの棒の先に松の割り木を結わえてたいまつを作り、火をつけて家からほど近い岸壁まで運び、海に差し出して松が燃え落ちるのを待った。
今や常時住む人はなく、これらの風習も途絶えて久しい。過疎化と少子化は、それまでの当たり前をなくす。記録に残せなかったのが残念でならない。
(J)