八鬼山荒神堂で行われた護摩供で、しとしとと降る雨もあり、神秘的な雰囲気を感じながらシャッターを切った。修験者の「コロナで分断されるのではなく、みんなでよくなっていこうと心を一つに祈れたことがうれしい」という言葉が心に残った。
コロナ禍の中、「社会の分断」という言葉をよく耳にする。前回のアメリカ大統領選で、特にトランプ前大統領に関して聞くことも多かったが、日本も東京五輪開催で世論が割れ、Gotoトラベルやイートの是非も議論となった。医療現場のひっ迫を知れば自粛も止むなしと思うし、困窮する飲食店や一次産業者の現況を見れば自粛一辺倒の対策に疑問がわく。結局「命も経済も大事だ」というほかない。
影響の大小に違いはあるにせよ、ほとんどの人がコロナに振り回されてきた2年間で、人間のネガティブな点を見なかった、と言えば嘘になるものの、多くの他人を思いやる言葉や行動を目の当りにしてきた。分断だけではなく、善意や希望を感じることは確かにあった。
護摩供で般若心経が響く中、目を閉じて祈ってみた。誰かのために、であるはずが、自分の心がやすらいだことが不思議だ。
(R)