扉開きで幕を明け、在回りでまちに始まりを告げ、三夜連続で熱い練りがあった。いよいよ本祭りの日を迎えると、大名行列と道中踊りでまちが華やぎ、長刀振で魔を払い、豊漁と豊作を祈って矢が放たれた。毎年のことだが、祭りはいい、と改めて思う。
特に練りの迫力は、毎年目が覚めるような衝撃を覚える。矢来の内と外、柱のきしみと荒い息遣いを目の当たりにしながら、感情の爆発を繰り返すような練りは、尾鷲に生きる者として格別のものがある。関西万博でPRできたが、本番を見るとやはり上を行く。これはぜひ尾鷲に来て、本物に触れてほしい。心を動かすものが確実にある。
尾鷲に限った話ではないが、地方からは人が減り続け、明るい未来が描きにくい時代になってしまった。そんな中で、なぜ尾鷲で生きるのか、なぜ尾鷲でなければならないのか、言語化しにくいが、毎年ヤーヤ祭りの度に、答えを受け取っている気がする。尾鷲はいつまでも「チョーサじゃ!」と響く声とともにある。
(R)
