取材では、横並びで取材に臨む他社の記者、対面する取材相手と、自分の周りに縦横の線を引く感覚がある。特に目の前の縦の線は、ニュースの主役と裏方という明確な隔絶がある。
少し昔、他社の記者がちょうど尾鷲を離れる年の春だったか、取材後にコーヒーを飲みながらちょっと話した記憶がある。将来に悩んでいるのは見てとれて、未来ある若者の特権だなあ、と呑気に考えていた。
先日、その元記者が尾鷲に戻ってきて講話した。「取材で地域のかけがえのない思いや物語に出会い、生きる力を毎日受け取っていた」「コロナ禍でどんどん店も閉まり、祭りやイベントもなくなり、記事を書いてもなかなか力になれなかった」と聞いて、彼が悩んでいたのは自分自身だけでなく、2年間を過ごした尾鷲の将来だったのか、と今更気づくことになった。
彼はまた尾鷲に帰ってくるという。かつて轡(くつわ)を並べた身としては、裏方から演者へ、隔絶を踏み越えた決意は、なんだか分かる気もする。
(R)