人生における夢は、うなぎについてくる山椒みたいなものだ。あればラッキーだが、なくても幸せは感じられる。
卒業式のシーズンが来た。1日は公立高校の卒業式があり、多くの生徒が学び舎から旅立っていった。
私の小学校の伝統は、卒業証書授与で名前を呼ばれた時にステージ上で将来の夢を高らかに宣言するものだった。現在あの通りになっている同級生は何人いるだろう。私の宣言はたしか「自然カメラマン」だった。本気ではなかったが、夢を語ることを迫られた小学生が必死に絞り出した結果だった。
社会は目標設定や夢を大いに推奨するが、それらはなくてもいい。本当に何かを追いかけている人はそれを「夢」とも、それまでの過程を「努力」とも思っていないのではないか。とにかく目の前の興味があること、やってみたいことに集中していたらいつの間にか後ろに道ができていた、というのが私はしっくりくる。寝ることでも食べることでもなんでもいい。やりたいことは溢(あふ)れていて、夢はなくて当たり前、あればラッキーくらいに思う。
皆さんの門出を取材させていただいて少し思ったことをここに綴(つづ)ります。
【稜】