便利なものにはリスクがある。最近の便利なものといえばスマートフォン。これによって人々の生活様式・情報との関わり方は一気に変わった。しかしその圧倒的な利便性と裏腹に、「なんでもネットで調べればわかる」という誤った通念がまん延したようにも感じる。
言葉も便利なものの典型例だろう。人類のみが獲得した思考・伝達の手段であり、これによって複雑な思考・コミュニケーションが可能となった。一方で、言葉にしてしまうことで関係を形作ったり、誤解を招くような事態を引き起こしたりするようになった。ネットを見れば「死ね」と言われて人が死んでいる。呪いの言葉としてのリスクもある。
さて、当地方に立ち返れば、県立高校でオンライン授業を活用した分散登校が始まった。家から授業を受けられ密を避けられるのだからやはり便利である。ならばリスクもあるはず。例えば、生身の人間と構築する社会性が養いがたい。学校の役割は学習指導だけではない。
オンラインが悪いとは言うつもりは毛頭ないが、どんな時代でも、得た利便性と引き換えに何を手渡しているのかについては、精度を上げて観察する必要がある。
【稜】