先日、「教養が消費される知識になっている」という趣旨の文章を目にした。すぐに役に立つことが求められていて、ファストフードになぞらえて〝ファスト教養〟というらしい。素早く提供するための努力が積み重なっているファストフードに対しても失礼だろう。
知らないと困る知識や、こうすべきという振る舞いがあり、それができないと「常識がない」と言われてしまう。〝教養〟の定義は難しいが、常識と実学的な知識の間にある、さまざまな事柄を知っていること、知識の積み重ねと言ってよい。
常識にしろ、教養にしろ、その人が属する社会、グループによって変化する。例えば、世界史やキリスト教に関する知識が「教養」としてもてはやされているのは、いわゆる欧米人と仕事をする人が多くなっているからと言える。
「ダイジェスト」にしても、結局は時間をとって勉強するしかないわけで、いやいや覚えようとすると効率がよくない。大切なのは、新しい知識に触れることをどれだけ楽しめるかだ。
尾鷲市立図書館には「教養としての○○」などのタイトルの本がたくさんある。読書の秋。本を読んで新しい知の世界を楽しむのはどうか。
(M)