三重県立熊野古道センターでこのほど、新熊野学講座「尾鷲林業盛栄の遺構 又口川に刻まれた夢の跡」が行われた。同センターの橋本博副センター長が、索道やトロッコなど、奈良県上北山村又口から尾鷲市何枚田までに刻まれた数々の遺構を紹介しながら尾鷲林業全盛時の施業環境などを紹介した。
29日(日)まで行っている企画展「尾鷲林業が歩んだ400年」の関連行事。橋本さんは「又口土井私立教育場」の高等尋常科1年生の修業証書を映写し「これを見て興味をそそられた」と紹介。尾鷲市から西に向け、奈良県上北山村までの山林を実際に歩いたルートを紹介した。1895年には龍ノ谷索道ができ、奥地の山林開発が盛んとなり、又口では山林従事者と家族で約600~700人が暮らしていたという。同教育場は1901年に開校していると紹介した。
又口については、交通の要衝と説明。尾鷲と上北山村の小橡、河合、白川を結ぶ索道が整備され、橋本さんは「生活道でもあり、林業活動の道でもあり、塩の道でもあった」と説明した。
橋本さんは、絵はがきや古い写真、自身が調査した場所の石組みや鉄骨の跡などを映しつつ、どこにどのような遺構が残っているかを語り、トロッコ(軌道)に関し、「急坂だとブレーキが利かずに危ない。ほとんど傾斜がないように作っていた」などと述べた。
土井家については、又口林道の整備、動力式製材機械(水車動力製材所)や最新運材技術(索道)などを導入したほか、西洋型帆船も導入したと語り、土井家の中でも第13代土井八郎兵衛氏について特筆すべき人物として取り上げた。その上で、「尾鷲林業=土井林業と言える」などとまとめた。
近隣地域だけでなく、岐阜県など遠方からも、索道を調査しているグループが訪れ、熱心に耳を傾けていた。
