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紀南抄「原爆投下から77年」

 原爆投下から77年。戦争について考えた。

 中学時代の授業で、毒ガスの使用がその残虐性のために禁止されたというのが印象的だった。「そもそも戦争が残虐的なのに、なんだそのルールは」と疑問に思ったものである。

 哲学者たちの考えを借りれば、行いの善し悪しを結果や目的でとらえる立場と、行為そのものでとらえる立場があるらしい。例えばベンサムの功利主義「最大多数の最大幸福」は、結果的により多くの人の幸福に寄与することがよい行いだとしている。逆にカントの義務論は行為自体の特徴に正しさを求める。

 そういった文脈で考えれば、「原爆投下は必要だった」という意見の人は、功利主義的に必要な犠牲を数えているのかもしれないし、反対の立場の人は、義務論的にその行為の残虐性を批判しているのかもしれない。

 ただ、私はこのあたりで考えるのをやめた。私は理屈ではない拒絶感を、原子力爆弾には感じているのである。それは日本の教育によるものというよりかは、原爆について語る大人たちに見え隠れする「悲しみ」によるものだと感じる。

 理屈ではない。過去と未来をつなぐのは、悲しみである。

【稜】

      紀南紗

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