中高生と話すと、当時の気持ちがよみがえる。
単純な明るさとは言い切れない、やきもきしたあの感覚。何か大きなことをしでかしてやりたい無謀さと、しかしどうしようもない自分のちっぽけさに小さな失望を繰り返す不安定感、大人の言うことを聞いてしおらしくしていた方がなんとなくうまくやっていけることは理解している頭と、そんなことで人生が決まってしまうのはまっぴらだと反発する心。五臓六腑がじりじりといらだち、胸の内で行き所を失ったパワーが飛び出したがっているような鬱屈感を思い出すと、彼らのまっすぐなまなざしが、鏡で真顔の自分を見た時のような気持ちにさせる。
若さは希望と可能性の象徴だと”大人”は言う。本当にそうだろうか。少なくとも私にとっては、成長とは痛みを伴う作業だ。それを他人から希望やら可能性やらと言われたら、なんだか押しつぶされそうな気持ちになる。大体それを若者に託している大人は、自分の若さを諦めたのだろうか。
何をしてきたかより、何をやりたいか。何をやりたいかより、何をやっているか。若さは、誰もが持っているものだ。
【稜】