「忘れたものを、覚えていますか」。忘れてしまったものは、忘れてしまったことすら忘れてしまう。思い出そうとしても、そもそも何を思い出そうとしているのかもわからないので、思い出せない。生きてきて出会ったすべての中で、覚えているものはどれだけあるのだろうか。
人は、覚えていたいことも忘れてしまう。亡くなってしまった大切な人の詳細、思い出に残る大切な時間、昨日の空がきれいだったこと、言いかけてやめた言葉。幸福も不幸も夢も感傷も、全て忘却に溶けていく。
ある意味ではありがたいことなのだろう。全てを覚えていたら、正気ではいられない。でも一方で、すごく切ないことだ。たった少ししかない大切すらこぼれ落ちていくのだから。
いっそ全てを手放してしまうのがよいのでしょう。昨日の空の色を、何の役にも立たない高揚感を、あけっぴろげに伝えられる相手がいることを、ただ今、この瞬間に幸せだと感じられる。それが忘却と、そこに消えていったいくつもの大切へのせめてもの供養であると願いつつ、誓いつつ、今日も在る。「忘れたものを、愛していますか」。
【稜】