AIと熊野信仰について考える。
日本将棋連盟の会長に就任した羽生善治九段が経済学者の成田悠輔氏と対談していた。そこでは将棋をきっかけにAIについて語っており、AIは今後、人から独立して思考のようなプロセスをたどり、人には理解できないような結果を導き出すものになっていくとしていた。将棋の分野ではすでに、AIが導き出した定石や戦法を人が後から追随・解析するといったことが起きている。
面白かったのは、肉体の能力で劣りながらも知能で他を制してきた人間が、知能の先駆者でなくなった時にどう感じるのかを思考実験していた点である。二人は古代に逆戻りするのではないかと推察する。すなわち、昔のように人知を超えたものへの感謝や畏れを見出し、新たな祈りや踊りを生み出すのでは、と。
地盤が崩れかねない時、人が最終的に戻ってくる場所は知性ではなく信仰なのだ。それは時に家族であり国家であり、習慣であり宗教であり、自然である。紀伊半島の南端の地で脈々と保存されてきた「熊野」の”ルネサンス”は、そう遠くない未来かもしれない。
【稜】