あまり理由を考えすぎると生きづらい。
「どんな記者になりたいか」と聞かれることがある。最近その問いに対するひとつの答えが見つかったような気がする。それは、「それが明確にわかっていたら記者をしていない」ということ。もう少し正確に書くと、なんとなく、良い記者になりたいような気はする。そう答えると、たいてい「良い記者とは何か」と聞かれる。しかしそれが分かっていたらわくわくしない。
山登りと同じようなものだと思う。初めて登る山について、頂上は目指している。そのために歩いている。しかし、人から「どんな頂上を目指しているのか」「どんな景色が見たいのか」と聞かれても、それはわからない。わからないけど登り続けるときっと頂上はあって、上にはきっときれいな景色があるのだろうと思うから、リスクをとってでも山に登る。
結局、良い記者が何かとは、良い記者になってから分かれば良い。山頂も登りきったあとで「ああこれが山頂だったのか」と気づくように。なんとなく自分がしたいからしている。そこから先は理屈ではない。子どもに「なぜ遊ぶのか」と聞いてみればよくわかる。
【稜】