尾鷲三田火力発電所の設備の撤去は順調に進んでいて、煙突の姿がとうとう見えなくなった。尾鷲のランドマークだった煙突を惜しむ声をよく聞き、せめて多くの人に最後の姿を見ておいてほしかったが、今年は新型コロナウイルス感染症で見学の機会も限られた。コロナに関しては人を責てはいけないと思っているが、ウイルス自体に文句の一つも言いたくなる。
ある飲食店の経営者は、煙突へ手を合わせることを日課としていたという。「火力発電所のおかげでやってこれた。ありがとうという気持ち」と笑っていた。
「小さい頃から火力発電所の煙突を見て育った。なんとか残せないのか」と語っていたのは矢浜の20代。バンジージャンプ台にして残そうとアイデアを出したのは尾鷲高校生で、老若男女に親しまれていたことがよく分かる。
「火力発電所のおかげで町は栄えたが、その間に次の活性化を考えておかなければならなかった」と悔やんでいたのは販売業の男性。「自分の代は良いが、後を継ぐ息子に苦労をかける」とも。
何もなくなった空に手を合わせて、今後の尾鷲はどうなるのか、活性化していくためには何をするべきなのかと考えている。
(R)