言葉が溢れ、心が置き去りになっていく。そういった体験をここ10年ほど、繰り返してきた。
奥底の本音。誰にも見せてはいけないと思っていたもの。それらに蓋をして、まるで何もなかったかのように生活を取り繕う。ある程度はそれでなんとかやっていけた。しかし無視され続けた自分の心は、無意識の海底から、か細い声で助けを求める。見えず聞こえないふりをしているから、現実に不具合が起きても根っこの原因に辿り着かない。心は救難信号を送り続ける。なぜか。それも迎合すべき自分だからだ。
旅は、自分の中にしかない。どこへ行こうと、何をしようと、その場で何かを感じ取り意味に変換していくのは、結局自分の中の作業でしかない。逆に言えば、人は体がどこに行かずとも旅ができる。無限に思える内的世界への旅である。
しかしいくら内へ向かおうと人は人を求め、いずれ他者に出会う。2つの内的世界が触れ合い、溶け出し1つの世界を作る。時にそれは許しや慈しみを伴い、凍え切った自分自身との再会をもたらす。
大切なのは武装ではなく、丸裸の自分であった。
【稜】