少し前になるが、那智勝浦町の勝浦八幡神社を取材させてもらった。3年ぶりの神輿(みこし)の渡御を見ていて、自然と心が躍った。
印象的だったのは、神輿を担いでいる男衆はじめ、そこに携わる人々の清々しい表情であった。みなそれぞれの役割を力いっぱいに全うし、それぞれの存在と行いそのものが大きな祭りとなっていくようだった。そしてみな、はじけるような笑顔をしていたのである。
彼らの清々しさは、それが神事であるためのものと思う。彼らには、損得がない。祭りの熱気が上がっていくとともに、そこには自己すらも次第になくなっていっていたようだった。ただ役割があり、それが「祭り」の形を成して、自分たちの理解を超えた神への祈りへとつながっていく。一人一人に思いはあったろう。信仰心もそれぞれだろう。それでも、脳裏に焼き付いたあの素晴らしい表情が生まれてくるのは、この土地に根付く祭りの力なのだろうと、現場で感じた。
コロナ禍も3年目で、これからさまざまな催しも徐々に本来の形を取り戻していくのだろうか。人々の純粋な祈りが織り成す多様な「祭り」が楽しみである。
【稜】