熊野那智大社の例大祭「那智の扇祭り」を取材で初めて目の当たりにし、自然と人について考えた。
高校の歴史の授業で聞いた「自然豊かな場所は多神教に、環境の厳しい場所は一神教になる」という話が印象に残っている。一神教のユダヤ教はわかりやすく、「ノアの方舟」や「モーセの十戒」など、過酷な状況を前提としたエピソードが多い。日本の場合は四季があり、森に川に海にと、食料も豊富。砂漠で水を渇(かつ)望するという経験は考えられない。
熊野那智大社は青岸渡寺と隣接した神仏習合の地であり、滝を御神体する自然崇拝も見られる。扇祭りで渡御している神様は十二体で、多神教と言える。
扇祭りには、水も火も風も木もある。整備され尽くした無機質な現代社会にあって、自然と人が信仰によって結びついている。近年はSDGsという考え方がよく言われるが、この地域では自然を人の支配下で持続可能にするどころではなく、畏れ、敬っている。神事では滝に手を合わせ、お辞儀し、祝詞を奏上するのだ。現代という文脈では異様な光景と言えるかもしれないが、その姿に人と自然のあるべき関わり方を感じた。
【稜】