鉄棒で蹴上がりをしていたところ、岡先生に体操を勧められた。1957(昭和32)年春のこと。野球部を辞めて体操を始める。尾鷲中学校体操部の誕生である。自ら主将としてチームを率い、県内屈指の常勝軍団へ育て上げた。
先日旅立った神保中(あたる)さんは、その後も名門チームで競技を続け、河合楽器でコーチを経験して帰郷。41年間にわたり体操スクールを開き、地域の子どもたちの育成に力を注いだ。尾鷲中の指導でも男女で17度の県大会団体総合優勝へ導くなど、その功績は語り尽くせない。
日本体操協会の表彰を受けた際、「天命だと思い、体の続く限り指導したい」と語った姿が忘れられない。子どもたちを見つめるまなざしは、いつも少年のように輝いていた。
晩年は病と向き合う日々だったが、体操への情熱が衰えることはなかっただろう。育てた選手たち、志を継ぐ指導者たちがいる。ご子息も久居で体操クラブを率い、五輪選手を輩出した。神保さんがともし続けた火は、今も確かに受け継がれている。
(N)
