1944年(昭和19年)12月7日午後1時36分ごろ、東南海沖を震源とするM7.9の巨大地震が発生。和歌山県では地震動と津波により死者51人、負傷者74人、住家全壊121軒、同流失153軒(県HPデータ)だった。これが昭和の東南海地震。それから2年後の1946年(昭和21年)12月21日午前4時19分ごろ、南海道沖を震源とするM8.0の巨大地震が発生。和歌山県では死者・行方不明者269人、負傷者562人、住家全壊969軒、同流失325軒、同焼失2399軒。新宮市内は一面、火事で焼けつくされた。昭和の南海地震だ。
新宮市内に住むある男性は、「東南海のときは小学校で授業中だったので、揺れに驚いてみんなが昇降口に殺到した。外に出ても地面が揺れているように見えた」と振り返る。一方で、近い将来の南海トラフ巨大地震の発生が懸念されるが、昭和の東南海・南海地震の体験者が高齢化し、その記憶を伝えながら備えていく必要性を話していた。今年はコロナ禍、また近年は全国的に台風や豪雨被害が相次ぎ、そちらの意識が強くなっているが、地震への備えも忘れてはいけない。
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