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核兵器の悲惨さ伝える 被爆者や2世が実体験を語る 住民有志が平和のつどい

 紀北町相賀の海山公民館で12日、「平和のつどいinきほく~核なき世界はきほくから~」が開かれた。乳児のころに長崎で被爆した山口詔利さんは「核軍縮は人類にとって必要不可欠」、父を被爆者に持つ堀浩子さんは「今の若者は核兵器を持った方が良いという人もいるがとんでもないこと。話さなくてはならない」と核廃絶を訴えた。
 
 2度も原発誘致を阻止した紀北町で、核なき平和を考えるきっかけにと、住民有志による「平和のつどいを作る会きほく」が企画。主催者発表で約50人が耳を傾けた。
 
 三重県原爆被災者の会(三友会)会長の山口さんは、8人家族だったが、父は軍事教練、長男と姉2人は疎開で長崎を離れており、長崎には祖母、母、次男の兄との4人で暮らしていた。屋外にいた祖母は直接被爆し、玄関にいた兄も火傷を負ったという。親戚が兄をリヤカーで運び、薬もないのでドクダミを煎じて飲ませ、アロエを塗って治療した、と話した。被害を知って2日後に戻って被爆した父に触れ、「父は一切被爆地について語ろうとしなかった。核廃絶に向けての一助になれば、との思いがあるが、生後間もなかった自分の記憶の実体がないのが歯がゆく、もっと父から実相を聞いておけばよかった」と後悔を語った。
 
 山口さんは今年5月の核拡散防止条約(NPT)の再検討会議で、条約をめぐる現状や今後の共通認識を確認する成果文書が3回連続で不採択となったことに無念さをにじませ、核兵器禁止条約に日本が批准していないことを問題視。「日本が核兵器禁止条約に参加して、世界唯一の戦争被爆国として世界をリードしていくことを願ってやまない」と語った。
 
 岐阜県安八町出身の堀さんの父は、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の事務局長を務め、一昨年のノーベル平和賞の授賞式にも参加している。4、5歳のころに初めて原爆のことを聞かされた堀さんは「話を聞いて、怖い、ということだけが残った。原爆の映画も絵本も、いい加減にしてほしいと思ったが、言ってはいけなかった。何度も被爆した夢を見た」と話した。核廃絶活動への義務感と、仕事などの自分の人生との間で迷ったことに触れ、「最初は義務感で、嫌で嫌で仕方がなかったこともあったが、父と話し、被爆者の話を聞き、『これは大事なことだから、話さなくてはいけいない』と自分の中で変わっていった」と振り返った。
 
 被爆者の父から聞いた話と、写真や地図を交えながら原爆の被害について説明。「父の母の顔が全部焼け焦げてふくれて、その顔を見る度に泣けてくると、父の姉の手紙にあった」「避難してきた若い女性が毎日『もう嫌だ、カミソリちょうだい、死にたい』と言っていた」「町の中心部には死体がゴロゴロしていて、満潮になると橋の方にぷかぷか浮き、干潮になると川に流れていった」などと語った。
 
 このほか、近澤チヅル町議が5月のNPT再検討会議について報告。文化発表としてオカリナささゆりの演奏と、日舞の披露もあった。

      紀北町

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