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法医学者古畑種基を知る 熊野古道センター特別展示

 尾鷲市向井の三重県立熊野古道センターで24日から特別展示室企画展が開かれている。紀宝町出身の法医学者、古畑種基の功績と生涯を紹介している。4月12日まで。

 日本の法医学の草分けともいわれる古畑種基は、明治24(1891)年、相野谷村(現在の紀宝町)の平尾井の開業医の次男に生まれ、東京帝国大学医科へ入学。ドイツ・ベルリンに留学後、法医学者として血液型に関する新説発表、「下山事件」の鑑定、奥州藤原四代のミイラ調査などで活躍。東京帝国大学医学部法医学教室主任教授、科学警察研究所所長などを歴任。おそらく東紀州地域出身者で唯一の文化勲章受章者で、昭和50(1975)年に83歳で亡くなると、勲一等旭日大綬章、正三位に叙された。名乗っていた「熊南(ゆうなん)」の号から、生まれ故郷への愛着を感じることができる。
 
 古畑は金沢医科大学教授時代、どちらかの親に血液型がAB型がある場合はO型の子が生まれないことを発見し、O・A・B・ABの4種類とされてきた血液型が無数に分けられる発端となった。
 
 下山事件とは、昭和24(1949)年、日本国有鉄道初代総裁の下山定則が失踪の翌日に轢死体で発見された未解決事件。検視による死因は当初は轢死で事故か自殺とみられていたが、古畑が指揮する東京大学法医学教室の司法解剖で遺体は死後に轢断されたと鑑定したため、他殺の可能性が強くなった。下山事件は治安対策や労働組合対策の観点から政治的な思惑とからみ、自殺説と他殺説で報道や世論が過熱。法医学としても、死後轢断の東大と自殺による生前轢断の慶応大が論争を巻き起こした。
 
 古畑は事件から10年後の昭和34(1959)年に『今だから話そう法医学秘話』において死後轢断とする証拠を挙げて「他殺として判定してもよい材料ばかりなのだ」と述懐している。
 
 古畑氏は推理小説家でもあり、探偵雑誌『探偵文藝』に短編小説『指紋』が掲載されている。
 

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