夏は慰霊の季節で、太平洋戦争について振り返る時期でもある。コロナ禍で3度目となる夏に、国家や世界の非常事態で個人はどれだけの不自由を許容できるのかを考えてみる。
ロックダウンなどの強い措置が取られた海外の一部の国と比較すれば、日本ではマスクの着用やワクチンの接種、帰省や営業の自粛など、「お願い」ベースで対策が進められてきた。マスク着用や移動などに法的な罰則こそないが、周りの目が気になることもあり、不自由さを感じることも少なくはない。だがこれまで触れてきた本や映像から想像する戦時中の不自由さはコロナ禍の比ではない。
コロナの流行は誰が悪い訳でもないが、目に見えぬ不安からか心ない中傷や差別、果ては憎悪犯罪まで起きている。人災である戦争は怒りの矛先が特定の国や人種に向きやすく、引き起こされるそれは、おそらくは比べ物にならない。
終戦から77年が経つが、ロシアのウクライナ侵攻に加え、台湾有事の危険性も指摘されており、戦争の脅威は決して遠い話ではないことを実感する。戦争の悲惨さを知らない世代が戦争をしないために、より戦争や平和について議論しておくことが重要となる。
(R)