風景が変わることに寂しさを感じることがある。最近は教室の風景が変わっている。文科省のGIGAスクール構想で小・中学生には1人1台パソコンが与えられており、別々のパソコンからインターネット上の同じ場所で作業し同時に内容を編集したりしている。それぞれの机でノートパソコンを開き、画面に向かって入力している風景は目新しかった。
大きな建物が建つことでも風景は変わる。丹鶴ホール建設により良くも悪くも周辺の風景は変わったことと思う。新しいものは時代に合ったセンスで設計され洗練されたイメージを与えるが、経年による味わい深さ、情緒のようなものは古いものにかなわない。
「時代の流れだから仕方がない」と納得しながらも、変わっていくことに寂しさを感じることは誰でもあるのではないだろうか。人はよく慣れたものを好む。
人間関係も同じかも知れない。離れなければならない時があれば、新しい出会いを繰り返していかなければならない時もある。
良し悪しを超えてそういうものだと受け入れる姿勢は大切だが、変化に対し「寂しい」と思う気持ちも悪者ではないように思う。
【稜】