今年は7月22日が「海の日」になる。海に関連して、新宮高校の正面玄関入って左側には、佐藤春夫の「海の若者」という詩が額に入れて飾られている。詩は次のとおり。「若者は海で生れた/風を孕(はら)んだ帆の乳房(ちぶさ)で育つた/すばらしく巨(おお)くなつた/(あ)る日 海へ出て/彼は もう 帰らない/もしかするとあのどつしりした足どりで/海へ大股に歩み込んだのだ/とり残された者どもは/泣いて小さな墓をたてた」。
難解なのは、「海へ大股に歩み込んだのだ」という部分。素直に受け止めると自分の意志で海へ入っていってもう戻らないという意味になるが、一体なぜか。解釈はいろいろできる。自決も考えられるが、当方は、若者が不慮(りょ)の事故に遭ったのだと思う。この詩が誰か個人の視点でつづられたものだとすると、その人は「若者」の死を不遇のものではなく、彼の選択だと思いたかったのではないか。
6月に入り各所で避難訓練が盛んに行われている。水難事故や災害含め、人の命はいつ危機にさらされるかわからない。詩にあるように、自然のありがたさとおそろしさを忘れずに生活したい。
【稜】