「親鸞聖人(しんらんしょうにん)にとって被差別民は手を差し出した対象ではなく、思想の根源だった」。同朋大学(名古屋)の鶴見教授が24日に新宮市の淨泉寺で営まれた「遠松忌(えんしょうき)法要」で法話をした際に語ったことだ。
かつての大名僧を前に眞に僭越ながら、大変な共感を持ってこの話を聞いていた。親鸞は「どのような人であれ念仏ひとつで救われる」という教えを説いた。鶴見教授の考察では、親鸞が関東に出てさまざまな被差別民と出会う中で「人間とは何か」という問いに立ち、思想をつむいでいったのだという。
つまり、等しく人の中には差別の心があって、それを自覚したところから思想の展開が始まるという考えだ。差別というと迫害・暴力のような激しいものが想起されるが、実際はものすごく小さなレベルでも起きていることだろう。これまでのあらゆる生活の場面でも、自分が差別したり、逆にされたりということは大小問わずあったように思う。お互いに許し合えるようになる時まで。分け隔てのない世界は自分の内側に広げるべき理想郷なのだと実感する。
【稜】