「お兄さん、なんか偉そうやね」。取材先で地元の方からポン、とそんな言葉をいただいた。普段なら人が自分を語る内容にそこまで頓着がないのだが、おそらく簡単な気持ちで発されたであろうその言葉は、虚を突いたかのように、これまた簡単に私の心臓の深くまであっけなく浸透してしまった。
記者をしていて怖いのは、取材先で重宝がられて知らぬ間に高飛車になることである。自分が偉くなったわけではない。会社の看板、あるいは報道という社会的使命をまとえばこそ、いろいろな人が話してくれる。それを無自覚にはき違えてしまえば、記者を純粋に全うできなくなるだろう。独りよがりの記事に救いはない。
言葉を脳内で反すうしつつ、自分の言動を振り返ってみる。思い当たる節があるとすれば、1つだった。それは、当時私は背筋をよくしようと意識している最中で、普段よりも胸をそらせていた。それが不自然に出て偉そうに見えたのだろうということだ。
人と接する仕事には、少なからずパフォーマーの要素が求められる。文字通り取材の”姿勢”を見直そうと思った出来事だった。
【稜】