歩く。話す。食べる。道端の花を見やる。トンビが鳴く。見上げる。例えば風邪を引いた時、こういったごく当たり前だったことが難しくなり、それがいかにありがたく、得難いものであったかを悟る。
それまであった世界が、ある一つの変異によって突然崩れていく。私たちは、それがありふれたことだと知っている。変化と、それにより生じる破壊と、それでも続く日々。脳みその大部分は拒もうとするが、どこかで興奮している。バイオレンスな欲求。言葉は眠り、力が目を覚ます。胸の奥で静かにのたうち回る虚(うつ)ろを、あえて春と呼ぼうか。
熊野の山に分け入ると、苔むした岩の上に、若木がたくましく成長しているのが見られる。あれは、破壊だろうか再生だろうか。生きるというのは、この世界に幅を取って居座ることだ。ただ生きればよいのだと全自然が表現していて、人はそれを華麗に無視して、意味だとか理由だとか、罪だ罰だと没頭する。「変化を恐れず踏み出そう」とでもくくれば、この文も少しは意味があるっぽくなるだろうか。本当はただ美しいだけでよいのに。
【稜】