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令和元年 春の叙勲受章者

 令和元年春の叙勲受章者が21日、発表された。和歌山県内では43人が受章。本紙関係では、新宮市三輪崎の元公立高校校長・青山富男さん(74)、串本町二色の特別養護老人ホーム「にしき園」介護職員・岩本裕美子さん(69)、串本町中湊の元町消防団副団長・関戸保次さん(68)、新宮市田鶴原町・元市消防団分団長の椿本猛さん(76)、那智勝浦町天満の元町消防団団長・前地俊秀さん(70)の5人が受章した。このうち青山さん、椿本さん、前地さんの喜びの声を紹介する。
 
 
「今もって信じられない」
教育功労 瑞宝小綬章
青山 富男さん
 
 串本町(旧古座町姫)の出身、新宮市三輪崎在住。和歌山大学卒業後、英語教師を志し教職の道へ。新宮高校では教頭と校長を務めた。平成17年3月に現役を退くまで、38年間の教員生活に奉職。「いただけるとは夢にも思っていなかった。驚きとともに戸惑っている。今もって信じられない」と笑う。
 英語の教諭として、和歌山県初の国際交流の礎を築く。生活指導をしていた時は、朝から晩まで生徒のために奔走した。バイクの事故で教え子を亡くし「本当に辛かった」と振り返り、涙をぬぐった。
 また、悪さをする生徒ほど感受性が高いと訴える。何人もの生徒を退学処分から救った。そんな生徒たちが、今も青山さんを慕って訪ねてくるという。「一生の付き合い」と目を細めた。
 剛柔流空手の有段者で熱血漢。座右の銘は「その意にあらざれば教うるも成らず」との司馬遷の言葉。現在は妻の美知子さんと長男の3人暮らし。次男は尾鷲市で暮らす。家庭菜園を楽しむ。空手では後進の育成に汗を流している。
 

「在籍年数長いだけ」
消防功労 瑞宝単光章
椿本 猛さん

 生まれは御浜町で、幼年時に新宮市に移った。緑丘中を卒業し、電気工事の仕事に従事。知人のすすめで昭和52年に消防団に入団。最終的に分団長までを務め、平成29年に退団した。「何でもらえたのかな。年数が長いだけ」と謙遜する。
 入団したてのころは、製材所が多い関係で、熊野地の火事が多かったという。「印象に残るのは、新宮駅前の放火による火事。帰れなくて、交代して道で寝た」と振り返る。
 丹鶴商店街の火事でも、徹夜で活動。神倉山の土砂崩れでも出っ放しだった。そして、紀伊半島大水害。「熊野川から水があふれるのを見て、すぐに市田川の水門の段取りをした。恐怖を感じた」と話す。他の日も常に、火事や台風を警戒。すぐに出られるよう、枕元には団服があった。
 事故やけがをしない、させないことを心掛けた。「みんな出動時は慌てる。出動して家に帰るまで慌てず、事故のないように常々言っていた。現役団員もけがをしないように努めてほしい」と述べる。趣味はゴルフ。1時間ほど歩くのが日課。妻と2人暮らし。新宮市田鶴原在住。
 

「団員犠牲者なく安堵」
消防功労 瑞宝単光章
前地 俊秀さん

 那智勝浦町北浜出身。中学を卒業後、3年ほどして家業を継いだ。消防団には近所の先輩団員のすすめで、昭和44年に入団。最終的に団長までを務め、平成27年に退団した。「大水害で団員から犠牲者を出さなかったのが救い」と振り返る。
 入団したての頃は仕事が忙しく、団活動に熱心とはいえなかったが、立場が上がるにつれて責任も生じた。「出ないわけにはいかなくなっていった」と明かす。所属したのは、消防艇までを所有する分団。「いくつかの火事では消防艇からホースをつなぎ、海水を使い消火した」という。
 忘れられないのはもちろん、平成23年の紀伊半島大水害。「まさかあんな状態で、犠牲者まで出ているとは」と話す。その際の団員の献身にも言及。「自分が被災した団員も、招集をかけたら協力してくれた」と感謝を述べる。緊急対応が必要だった家業も、従業員が支えてくれたため、団活動に専念できた。近隣自治体の消防団の協力も大きかったと語る。
 団員にはまず自助、次いで共助、公助を説いてきた。「入団希望者が増えてくれれば」と願う。

      和歌山県

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