私には大きな大きな後悔がある。皮膚炎を持つ身内への一言。「うつさないでよ」。小さな反抗のつもりで軽く放ったその七文字が、どれだけ深くあの人を傷つけたか。そもそも感染性ではなく、本人も望んでなったわけでもないのに、自分の無知や想像力の欠如を棚に上げて、言葉の刃を、なんの理由も根拠も大義もなく、ただ振り下ろした。今思うのは、それが私の差別だということだ。
この例をとって「人はみんな差別の心を持っている。それとどう向き合うかだ」といったような抽象論を持ち出すつもりはない。これは私が大切な身内につけた治らない傷の話だ。それ以上でもそれ以下でもない。しかし人権という問題を考える時、この足りない脳みそはいつでもこんな砂を噛(か)むような記憶を想起する。
難しい問題ではない。言う前によく考えること。間違えたら早く、誠実に謝ること。それでも傷は残ると知ること。
9日に新宮市で人権のつどいがあり、また私は砂を噛んだ。願わくば放つ言葉が世界を明るくするものであるように。人権思想とは、等しさよりも愛しさなのではないだろうか。
【稜】