書いては捨て、書いては捨てる。ピラミッドの底面が広いほど頂点が高くなるように、新聞でも集めて使わない情報が多いほど、上澄みの記事の質は高くなる。しかしボツになった文章たちはどこへ行くのか。彼らを笑顔で送り出すために、過去にボツにしたこの紀南抄の書き出しをまとめる。
「『薬も過ぎれば毒になる』とはよく言ったものだ。最近、薬物乱用防止教室の取材をさせてもらう機会があった」−。これは薬と毒について言おうとしたのだが、何かうまいことを言ってやろうという下心が透けてむずがゆい。送り出しましょう。
「民主主義社会の政治の質は、その構成員の質で決まる」−。これも気恥ずかしい。当たり前のことをあえてしっかり言い直すことで何か本質的な議論をしていますよ、という空気感をかもしだそうと必死である。
「言葉は、飛翔する」−。個人的には好きだが、詩的かつ私的すぎて使えない。続く文章も一般性がなく、そもそも自分でも何を言っているのかよくわからない。
こういったボツが表現の土壌を豊かにするのだから、捨てることもまた愛することと思える。
【稜】