平和とは何かを考える。
例えば戦争がない状態だからといって、平和とは限らない。人として最低限の権利が保障されていなければ、たとえ争いが表面化していなくても平和ではない。では争いがなく最低限の権利や誰にも等しく利益を享受する機会が補償されていれば平和なのだろうか。いやはや、絶対的な公平がこの世に存在しえない以上、均等な利益の享受に未来を託すのは危うい。
少し視点を変え、一つの問いを投げたい。それは、「世界平和」は全人類それぞれの個人的な平和の集合によって成り立つのかというものである。すなわち、人類全員の心の平穏が世界の平穏になるかということだが、これはその通りな気がする。個人の平和を目指す中で社会も整備していくのがよいのではないか。
「そうはいっても理想論では何もできない」という反論が聞こえる。たしかにそうである。なので私は今日もおいしいものを食べ、これをもって和平としたい。第一、大人が「きれいごと」を言えなくなったらおしまいだ。
戦没者の御霊のご冥福とご遺族、関係者の皆さまのご健勝をお祈り申し上げます。
【稜】