心臓は一つ。いつも動いている。迷いなく、本気で、脈を打つ。自分の左胸にそんな必死さが付いているから、生きるということは、選択の余地なくそこに現前するものに思える。
トルコ・シリアの地震の死者数が3・5万人を超えた(14日朝刊の報道)。写真や動画でそれを見ている自分は、安全なところにいる。大変なのは、残された人々がそれでも生きていかなければいけないということなのではないかなどと考えている。
「いっそこの心臓が止まってしまえばいいのに」と思ったことがある。多感な思春期に、さまざまなことを投げ出したくなった。しかしどこかで、衣食住に困らない環境にいる自分がそんなことを考えてはいけないという謎の比較論と、首をくくるような痛々しいまねをしようとまでは考えられない自分の狡猾(こうかつ)さに対する嫌気を持て余し、結局は宙ぶらりんの自分を否定も肯定もしきれずそれでも生きてきた。
トルコの友人に安否の連絡をすると自身は大丈夫である旨とともに、死者が出続けている状況に「hopeless」という英語が返ってきた。意味は「絶望的」。応援の思いを募金にこめた。
【稜】