15日は終戦の日だった。正午の時報に合わせ短い時間だったが戦争で亡くなった人に祈りをささげた。
本などを読むと「お国のために死ぬ」という話がよく出てくる。以前インタビューした戦争経験者は、戦争へ行くのは特別なことでなく普通のことだった、と話していた。教育の影響か、同調圧力か。現代では思いもよらないことである。もっとも「お国のために」が「命をささげること」と考えられるようになったのは、昭和10年代に入ってからのことと推察する。
今年の終戦の日は、特に思うところがあった人が多かったのではないか。ロシアのウクライナ侵攻が、世界の平和に大きな影を落としている。
ウクライナでは、一定の年齢の男性は、兵士要員となっている。一方、国外に退避してもよい女性にも、軍事活動している人がいる。同調圧力があるのかもしれないが、「志願して」ということ。
「祖国のために」という理由もあるが、〝国体〟のためではなく、愛する自分の家族や郷土を守るため、という理由が大きいのだろう。ウクライナに関するニュースを見聞きし、日本の当時の若者の思いが重なっているように感じられた。
(M)