地元の花火大会は、規模の大小に限らず特別な行事になる。幼い頃は親に手を引かれて、成長すると友人と連れたって見に行ったことは、夏の思い出として忘れることはない。
おわせ港まつりが始まった昭和25年は尾鷲市誕生以前にさかのぼる。現在の広報おわせにあたる尾鷲町公民館ニュース第1号の発刊(27年1月)、昭和天皇の尾鷲町行幸(26年11月)、尾鷲商工会議所の誕生(26年7月)よりも前で、まさに戦後の市民とともにあり続けたイベントと言えよう。神武景気や高度経済成長により発展してきた昭和も、人口流出が止まらず過疎化が進んだ平成も、夏になれば港まつりがあり、尾鷲湾には花火が上がることが常だった。新型コロナウイルスが流行するまでは。
思えばこの2年半、コロナという言葉を聞かない日はないほど生活は影響を受け、感染や分断の不安にさいなまれる世界を生きてきた。残念ながら我慢を強いられる日々はまだ続く。
コロナの流行が収まらない中、今年は「おわせ市民花火~がんばろらい尾鷲~」として、約3000発の花火が尾鷲の夜空を彩る。感染症対策に十分気をつけながら、多くの人が元気になればよい。
(R)