三重大の塚本明教授が執筆した『江戸時代の熊野街道と旅人たち』を読んだ。尾鷲組大庄屋文書や古道客の道中日記をひもといたもので、文章からはこの地域への愛着を感じて、うれしくなりながらページを進めた。
登場する旅人はあまり豊かではなく、米も銭も持たずに行き倒れた病人の対応を見ると、この地域のご先祖様はかなり面倒見のよい性格をしていたことが伺える。あとがきで、「尾鷲の村々が、旅人たちの抱えたさまざまな事情をくみ、領主の触書や、時には自ら取り決めた原則とも異なる、融通無碍(むげ)で柔軟な対応を取っていることの面白さに引かれた。それらを『例外』として片づけるのではなく、生々しい人間くささを記録したいと願った」とあるが、この人間くささという魅力は、今の尾鷲にも通じるところではある。
あるテレビ番組で熊野古道を「和歌山、奈良」と紹介しているのを見て憤慨したことがあるが、熊野三山や高野山を結ぶ小辺路や中辺路と比べると、観光地として伊勢路は見劣りすると言わざるを得ない。観光誘客や移住定住を促進するために、庶民を温かく迎えてきた伊勢路ならではのアプローチはできないものか。
(R)