人権について考える。新宮市と市教育委員会、市人権尊重委員会は人権尊重文集「春を呼ぼう」を発行し、本紙でもそれに基づいて市内児童生徒の作品を紹介している。
普段は目に見えない差別だが、時にそれは言葉の中に色濃く顕在化してしまう。例えば、「私たち」という表現。私はこの表現が苦手である。「私たち」と言ってしまった瞬間に、それ以外の何かを排している気分がする。それに、「私たち」に含まれる人にも、そのある種の暴力に加担させてしまう。
「私たち日本人は米を食べるんです」と言うと、受け取り方によっては「あなたたちは食べないですよね」と取れてしまう。また、発言者以外の日本人もその言葉の主語に含まれるのである。気をつけたいのは、発言者に差別的な意図がなくても受け取り手がそう解釈した瞬間、それは差別をはらんだ表現になってしまうというところだ。いじめやハラスメントにもよく似ている。
大事なのは、無意識的に自分が発してしまう差別に気づけるかであり、それを意識下に置くことができるかである。小中学生たちの素朴な言葉は強烈な力を秘めている。差別をもう一度見直したい。
【稜】