講演会を聴講したり、言い伝えを聞いたり、企画展で昔の資料を見たり、この地域について知識や一説を得ることが多い。聞きかじった知識をかけ合わせながら、想像をふくらませていくところに歴史のロマンがある。
個人的に推しているのが、「長島=中志摩」説。志摩国は天正10(1582)年に荷坂峠を境目として改編されるまで、現在の鳥羽から尾鷲までの三重県南部の海沿い。古代は愛知県の日間賀島や篠島、佐久島まで志摩国だったという説もあり、スケールの大きい海洋の国だったことが想像できる。
中志摩は、単に地理的な意味でなく、拠点として重要だったのではないか。東紀州の城の講演会で長島城は比高が大きく堀も多くかなり堅牢な城であったことがうかがえる。長島の海を眼下に見下ろす遺構を見て、長島と錦の近さを考えれば、海運の要衝であり、北上への防御拠点だったのでは、と考えられる。
推論に推論を重ねた仮説は反証一つであっさりと崩れる。根拠にとぼしい論説に価値はないが、それもまた楽しい。
(R)