新宮市で「二十歳の集い」があった。皆さん晴れ着に負けぬ晴れやかな表情で、取材しているこちらまで、そのまぶしさを分けていただいたようである。新宮市だけでなく当地方の各所で二十歳が集まり、大人としての第一歩を踏み出さんとその誓いを新たにした。
二十歳になる皆さんに、頼まれてもいないのに勝手に、詩の一節を贈る。「書きとめられる前から航空工学はあった/記憶される前から空はあった/そして飛びたいと思う前からおれは両手をひろげていたのだ」—。
たった6年前ではあるが、自分が二十歳だったころ。自分のエネルギーを持て余し、何かやってやろうという威勢だけはよい前かがみな意気込みと、実は何もできないのではないかという根拠のない確かな無力感と、どこか馬鹿な若者のままではいられないいらだちと、さまざまな感情と付き合いながら日々を消費していた。今も大差はない。希望といらだちこそ、人の持てる可能性の象徴なのではないかと思う。
「大人」や「常識」など、あってないような通念ともうまく付き合いながら、それぞれの空を抱え大きく飛び上がってもらいたい。
【稜】