車道で息絶えているネコを拾ったことがある。ぺったんこで、見るも無残な姿だった。それを車道から遠ざけまた歩き出した時に、いくつかの思いがこみ上げてきた。
少しの怒りを感じたのは、アスファルトに対してだった。ネコが亡くなっていたのは住宅街。土へと返れる場所を見つけようにも、茂みすら見当たらない。ただ硬いアスファルトが、まるで命を拒むように、しかし私を支えていた。
アスファルトが覆い尽くしてしまったものはなんなのだろう。ネコを抱えて土を探していたあの時間、私はネコの目でまちを見ていたのだ。しかしすっかり落ち着いて死ねる場所など、そこらには見つからなかった。死ぬ場所がないというのは、生きる場所がないということなのではないか。
アスファルトが地面を無表情にし、ビルが空を狭くし、スマートフォンが顔をうつむかせる。そして、私はそんな社会の恩恵を大いに受けている。
ひと通り感情が通り過ぎた後で、結局手元に残ったのはあのネコの惨めな姿と妙に軽かったという記憶だけであるような気もする。私たちに何ができるか。ネコともウイルスとも、共生していかなければならない。
【稜】