世の中には本音と建前がある。それを最初に教えられたのは小学校4年生の時だ。当時の担任が黒板に「本音と建前」と言葉として書き、詳しく解説してくれた。小学校の授業中にそれを教えてしまうのはどうかという気もするが、先生は「処世術として知っておくべき」と考えあえて伝えたのだろうと今は思う。
人の活動は「純粋に目的に向かって探求する」側面と「仕方がないから社会と付き合う」側面の表裏が一体となって成り立っていると思う。例えば研究者であれば学者が純粋に追求したい分野の研究を守るために、みんなの目を引くわかりやすい研究を行うことがあるだろう。
どちらが悪いというわけではない。人間が社会的な生き物である以上、「やりたいこと」をやるためにある程度「やるべきこと」をやる必要がある。
大切なのは、やるべきことを楽しめるかどうかだ。孔子が「これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」と言ったのはこのことのように思う。
やりたいこととやるべきことは本音と建前によく通じている。建前に埋もれて自分の本音を見失ってしまわないよう戒めたい。
【稜】