秋雨前線ともいわれた停滞前線の影響で、長雨が続いた8月中旬。幸い、当地方に大きな被害はなかったが、九州地方から東日本にかけての広い範囲に長期間の記録的な大雨となり、各地で甚大な被害が発生した。
当地方で最も被害が大きかった土砂災害は1971(昭和46)年9月9日から10日にかけての三重南部集中豪雨。尾鷲市を中心に、熊野市などで死者・行方不明者42人、負傷者39人に及んだ。
特に被害が甚大だったのは尾鷲市の賀田と古江。旧古江小横のおぶこ川、賀田の集落の中心を流れる小浜川などで土石流が発生。亡くなった人はそれぞれ13人を数えた。
大雨の要因は、台風25号通過後に前線が北上して活発化したこと。当時の陳情書などによると、災害前後3日間の降水量は尾鷲測候所で1095ミリ、三木里にあった県の土木事務所で1206ミリを観測したとされているが、気象庁の統計を見ると、この1095ミリは9日午前3時から11日午前3時までの48時間の記録。年間雨量は約4000ミリに及ぶ尾鷲にあって、実質2日で年間の4分の1の量が降ったことになる。
災害の1週間前から雨天が続いたことも悪条件とされているが、8月に紀伊半島を横断した台風23号の影響で、30日に尾鷲で513ミリの大雨があり、8月18日以降は雨や曇りの日が多かった。
砂防施設の整備や更新、河川の水位計や雨量計の観測地点も当時と比べ物にならないくらい充実し、土砂警戒区域なども設定されている。自治体によっては避難体制確立事業などで防災について住民が考えたこともあり、近年は自主避難も早くなっている。
災害は毎年各地で発生し、この地方でも起こらないとは限らない。9月は台風襲来の特異日もあり、一年で最も雨が多い時期。尾鷲市のホームページには当時の生々しい様子や友達を亡くした悲しみをつづった文集がある。このような被害が二度と起こらないよう、一人一人が避難場所や危険箇所を把握した上で、早め早めの避難を実践していただきたい。