緑丘中79年の歩み
来年度の新宮市立新宮中学校の開校に伴い閉校する市立緑丘中学校で、学校沿革史や卒業アルバムのデジタル化が進められている。来年3月に予定されている閉校記念行事などで活用するとともに、戦後の混乱の中で誕生し、地域とともに歩んできた79年の歴史を後世へ伝える。
緑丘中の前身は、1947(昭和22)年5月に開校した市立第一中学校。学制改革により、それまでの尋常小学校、高等小学校、旧制中学校、高等女学校などが現在の6・3・3制へ移行し、市内では第一、第二(城南中)、第三(光洋中)の3中学校が同時に発足した。
開校当初は戦後間もない混乱期で、校舎は千穂小学校の教室を借りて授業を実施。机や椅子は近隣の学校から借り集め、教室には南海地震の被災者家族が寝泊まりしていた時期もあったという。学制移行の過渡期だったことから、生徒編成も1年生は男女、2年生は女子のみという変則的な形で始まった。
校名が「緑丘中学校」となったのは1949(昭和24)年。51(昭和26)年には郷土の詩人・佐藤春夫によって校歌の作詞が完成し、團伊玖磨が作曲を手掛けた。翌年1月1日の元旦登校日に初めて全校で斉唱したと記録されている。
卒業アルバムに残る航空写真には、周囲に田んぼが広がり、現在の県東牟婁振興局がまだ建設される前の風景も写る。1971(昭和46)年の黒潮国体では、新宮市がサッカー競技の会場となり、緑丘中のグラウンドも競技会場として使用された。この際、100メートルの競技スペースを確保するためグラウンドがかさ上げされ、大会後にはテニスコートや体育館が整備された。東牟婁振興局や警察署などの公共施設が建設され、市街地化が進むなど学校周辺の景観も大きく変化していった。
学校沿革史は法律に基づき永久保存とされている。一方、同校に残る卒業アルバムは1958(昭和33)年以降のものが確認されているものの、それ以前のアルバムが存在したかどうかは分かっていない。またそれ以降も欠けている年度があり、同校では所有者に貸し出しへの協力を呼び掛けている。不足しているのは1959、1965、1967、1991、1992、1994、1997年度の卒業アルバム。
問い合わせは、緑丘中学校(電話0735-22-2720)。
