紀北町中里の海山郷土資料館で、企画展「海山・長島の昭和」が開かれていて、高度経済成長期の建物や電化製品、流行を写真と実物で振り返る約80点が並んでいる。5月31日(土)まで。
今年は昭和元(1926)年から100年目にあたり、昭和をテーマにした企画「昭和百年」の前半。昭和の大合併以後の海山町と長島町に焦点をあて、長島のレク都市構想、海山の浦々の漁港の改修などを取り上げている。
昭和の大合併以後の長島町政を語る上でレク都市計画は大きい。44年に建設省が大都市圏の住民のレクリエーション需要を満たすための大規模レクリエーション緑地計画を発表し、その第1号として熊野灘が指定された。
片上池公園内のレストハウス、県営古瀬川プールなどさまざまな施設が建設された一方、オイルショック以後の景気の冷え込みなどで第三セクターの紀伊長島レクリェーション都市開発も赤字を抱えた。
海山町の港湾は台風や津波の被害をよく受けている。引本港は15年に地方港湾に指定されたが、東南海地震津波(19年)、伊勢湾台風(34年)、チリ津波(35年)と再三の被害を受けて港湾施設が全て破壊された。島勝港、白浦港ともども整備計画が立てられ岸壁や防波堤、防潮堤などが整備された。
当時は小中学校の改修が急務だった。銚子川改修により堤防と国道42号の間には町営グラウンドを設け、総合体育館や町民センターも建設された。
高度経済成長の中、「三種の神器」が洗濯機・白黒テレビ・冷蔵庫からカラーテレビ・クーラー・自家用車に移り変わっていった。カラーテレビによってON(王・長島)で人気だったプロ野球、「巨人・大鵬・卵焼き」にも挙げられた大横綱などで盛り上がった大相撲、鉄腕アトムや鉄人28号のアニメなどの娯楽の普及につながった。
展示では、当時の両町の写真や広報、家電や生活用品、おもちゃ、おかしなどがある。中には、引本や白浦で拾ったみかん水の瓶もあり、「尾鷲 山口飲料部」と刻まれている。
家崎彰主事は「昭和30~40年代といえば経済の高度成長の時代で人も多く活気のある時代だった。そんな時代の海山、長島で何が行われていたのか、思い出すきっかけに建造物を探し、懐かしい子どもの遊びもとり上げたので、気楽に遊びに来てほしい」と呼び掛けている。