尾鷲節は元々、落ち延びてきた真田一族が歌った「なしょまま節」。「なしょままならぬ=何故ままならぬ」という悲嘆の歌。これが尾鷲節になると「尾鷲よいとこ朝日を受けてヨイソレ浦で五丈の網を曳(ひ)く」となる。
「尾鷲は良い所だ」から始まり、明るい朝日を浴び、掛け声を合わせながら網を引く姿からは、悲しみをかけらも感じない。少し都合よく解釈して、望まない形でこの地に流れ着いた人々が心身を癒やして前向きに生きていくようになった、と捉えれば、尾鷲節は再生の歌と言える。
そもそも江戸時代の古文書をひもといてみると、尾鷲はキリシタンを風呂に入れたり、行き倒れた巡礼者を介抱したりと、よそものを受け入れる気質があったことが読み取れる。漁師町の持つ快活さと、山に向き合うための根気強さを併せ持つ、奥深い魅力がある土地柄である。
成功をつかみ損ねた人は「ままならぬ」と嘆く世の中。そんな人たちの人生を再生する力が地方にあるのではないか、尾鷲節を聞きながら、そんな夢を見ている。
(R)